1998年03月24日

目標は通算最多奪三振記録更新

 第70回センバツ高校野球大会が、明日25日から甲子園球場で開幕する。今大会注目NO・1右腕の横浜・松坂大輔投手(3年)が、大会3日目の対報徳学園(兵庫)に登場。甲子園を沸かせた早実(東京)の荒木大輔投手(33=現日刊スポーツ評論家)にあやかってつけられた名前を全国にとどろかせる。松坂は、第45回大会(1973年)で江川卓投手(作新学院)のつくった通算最多奪三振記録「60」の更新を目標にあげた。
 
 松坂がついに甲子園のマウンドに立つ。新しい「大輔伝説」をつくる松坂の名前「大輔」は、1980年(昭55)の夏、甲子園決勝戦(対横浜)で熱投した荒木の名前をもらったもの。「1年生から活躍したすごいピッチャーだと母から聞いてます」。元祖大輔のことは本人も十分意識している。

 荒木は早実のエースとしてこの年、準優勝投手に輝いた。優勝したのが愛甲猛(現中日)擁する横浜だったのはなんとも皮肉。以降、5季連続で甲子園に出場し、通算12勝5敗の成績を残した。「残念ですが甲子園時代のことは覚えてません」。赤ん坊だったから無理はないが、それでも「荒木さんのように頑張ります」と話した。

 もう一つの目標は江川の奪三振記録「60」を更新すること。今年1月31日、センバツ出場が決まった時にも「奪三振の記録をつくりたい」と宣言した。最速148キロの直球で勝負する。

 この日、松坂は大阪市の南港中央野球場で練習した。スタンドには、報徳学園の偵察隊が陣取ったが、「すべて見せるわけじゃないし」と意にも介さなかった。同球場は人工芝のため、古キズの右ヒザへの負担を考えて、横浜からマウンテンバイクを持ち込み、これをこいでランニング練習に代えるなど細心の注意も払っている。打撃練習後は約100球のピッチング。「体調は万全です。昨夏より両足の太ももが3センチずつ大きくなって、センバツのユニホームは特注でした」。自信にあふれた口調で言った。 【浅見晶久】
 
 ◆荒木大輔氏の話
 松坂君の名前は新聞で知っていますが、僕の名前から取ったんですか。もちろん、うれしいですよ。僕が甲子園に出てから一時的に「大輔」という名前が増えたと聞いたことがありますが、もう甲子園に出る年代になったんですね。名前は別にして良いピッチャーだと聞いてます。甲子園で見るのを今から楽しみにしています。
 
       ◆今春のセンバツ注目選手◆
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 位置  選手名  校名  学年   身長、体重 投打
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 投手  沢田健士 北照  (3) 178、73 右右
     松坂大輔 横浜  (3) 179、75 右右
     館山昌平 日大藤沢(3) 180、73 右右
     亀川裕之 広島商 (3) 180、78 左左
     寺本四郎 明徳義塾(3) 175、75 左左
     矢野修平 高鍋  (3) 184、75 右右
     新垣渚  沖縄水産(3) 189、75 右右
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 捕手  小山良男 横浜  (3) 180、76 右右
     加藤健  新発田農(3) 185、83 右右
     大野隆治 東福岡 (3) 183、80 右右
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 内野手 小池正晃 横浜  (3) 183、80 右右
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 外野手 大城直也 沖縄水産(3) 176、72 左左
 
 ◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)
 1980年(昭55)9月13日、東京都出身。小学3年の時に「東陽フェニックス」で野球を始めた。江戸川南リトルで硬式に転向、同シニアでは中学3年時に全国選抜大会で準優勝。横浜では、昨夏からエースとなり、関東、神宮大会合わせて6試合で防御率0・72、奪三振55。179センチ、75キロ。右投げ右打ち。家族は父諭さん(43=会社員)母由美子さん(42)弟恭平君(15)。

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1997年11月20日

松坂大輔が3試合連続の完投で初優

◇19日◇神宮◇大学、高校の部=決勝

 初出場の横浜(神奈川代表)が、来年のドラフトの目玉、松坂大輔投手(2年)の3試合連続完投で初優勝を飾った。

 大学の部は近大が日本ハムのドラフト1位、エース清水章夫投手(4年=大阪)の2安打完封勝利で史上初の5冠(関西学生春・秋リーグ戦、全日本大学野球選手権、アマ野球王座決定戦、明治神宮大会)を達成した。
 
 3連投の疲れを全く感じさせない松坂の投球が、神宮制覇の原動力となった。「終盤に体力を残すために打たせてとる投球を心掛けた」という内容は、前日まで2試合連続2ケタ三振を奪った力の投球とは対照的だった。それでも140キロ近い伸びのある速球に、沖縄水産各打者のバットは空を切った。「一応全国レベル(の優勝)ということですが、あまり実感がわかなかった」と淡々とした表情だった。

 夏の神奈川県大会準決勝では、自らの暴投で横浜商にサヨナラ負けを喫した。あこがれの甲子園出場をつかむために、連日150球の投げ込みと約6キロの走り込みを欠かさなかった。渡辺元智監督(53)は「夏の厳しさを味わったことが生かされている」と、松坂の成長に手ごたえをつかんだ。

 ネット裏で松坂に熱視線を送った横浜稲川スカウトも「腕の振りが素晴らしい。来年が楽しみだね」と絶賛した。だが松坂は「まだまだ力不足です。下半身が弱いので今オフは徹底的に走り込みます」。早くもその目は来春センバツへ向いていた。

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1997年07月30日

横浜商 逆転サヨナラ勝ちで7年ぶり決勝進出

 Y校(横浜商)に勝利の女神がほほ笑んだ瞬間、どんよりした曇り空を切り裂くようにスカイブルーのメガホンが舞い上がった。だれもが「最後の攻撃」と覚悟して臨んだ9回裏だった。これまで横浜のエース松坂大輔(2年)の前に2安打8三振に抑えられていた打線が突如火を噴いた。連打と犠打でやっと巡ってきた1死二、三塁のチャンス。「オレが決めねばだれが決める」と気合十分で打席に臨んだ阿部洋輔捕手(3年)の当たりは右前適時打となり同点。なおも1死一、三塁で松坂投手が暴投。重田知彦内野手(2年)が生還し逆転サヨナラ勝ち。7年ぶりの決勝進出を決めた。

 守りに守って守りぬいた試合だった。エースで主将の青山修(3年)が12安打を浴び、1回を除いて毎回得点圏に走者を背負った。しかし再三のピンチも野手の捨て身の好守で切り抜ける粘りで流れを引き寄せた。

 菅野敦史監督(37)は「こんな苦しいゲームが本当にあるのかと思うほどだった」とホッとした様子。青山は「本当に全員で勝ち取った勝利だった」と笑顔を見せた。腹を割ったミーティングを重ねた。センバツ出場で「燃え尽き症候群」に陥ったチームを再建。「気持ちは一つです。次も全力でいきます」と、意気揚々と球場を後にした。

 まさかの逆転サヨナラ負けに中島周二主将(3年)はぼう然としていた。5回表、同点のホームを踏んだ時に捕手と接触し右ヒザを強打。交代を拒否して出場し続けた。8回に勝ち越しの右前打を放ってベンチに退いた。「痛みで集中力がなかった。気力だけでした」。勝利を信じてベンチから声援を送ったが敗れてしまった。「勝てるチャンスはたくさんあった。後輩にはこの悔しさを忘れないでほしい」と唇をかみしめていた。

1997年05月18日

松坂ニッカン初登場

◇初日 ◇17日◇ひたちなか市民球場ほか

 4年連続出場の浦和学院が3年ぶりに白星を挙げた。先発の阿久津武投手(3年)が6回を1安打に抑える好投を見せれば、打線も爆発して7回コールド勝ち。鬼門となっている春の関東大会初制覇へ好発進を切った。また、神奈川2位の横浜も松坂大輔投手(2年)の力投で初戦を突破した。

 浦和学院が過去5度の出場で2勝3敗と負け越している春の関東大会の初戦を楽々と突破した。ヒーローは先発の阿久津だ。4回までノーヒットノーラン。5回に内野安打を喫したが、6回を投げその1本だけに抑えた。打っても2本の二塁打で4打点。阿久津は「やるだけのことはやってきましたからね」と投打の大活躍に胸を張った。

 直球は120キロ台と決して速くはない。だが、カーブにスライダーを交えた打たせて取る投球は一級品だ。「僕は制球で勝負するタイプ。夏につながる投球を心掛けてますから」。あくまで目標は2年連続の夏出場に置いている。そのためにも、先輩たちが苦戦したこの大会で弾みをつけたいという気持ちは大きい。

 森監督も「物おじせずに自分のスタイルで投げていた。県大会で自信をつけたようですね」と、エースの成長に目を細めていた。

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